私の掃除履歴書

「きれい好き」が人生を変えた(2)

多賀城掃除に学ぶ会 小畑 貞雄

2011・3・11 東日本大震災

私は当時、東北電力の送迎バスの運転手をしており、発電所の緊急避難所に逃れて、九死に一生を得ました。そこから、津波で愛車が流されるのを見ました。その後自宅にもどると、家財道具は流され、電話は通じず、ようやく2日後に家族全員の無事がわかりました。しかし、亡くなったり行方不明の方が多くおられ、想像をはるかにこえる被害であることがわかりました。自分たちは助かったと、安心しているわけにはいきませんでした。
 市内いたる所が瓦礫の山でした。大きな瓦礫は重機を使って取り除くしかありませんが、個人でできることは、やはり掃除だと考えました。そのとき、鍵山相談役から「何か必要なものはありますか」という手紙が届きました。自分のような者にも気を配ってくださる鍵山相談役には、本当に感謝しました。

強い使命感でトイレに向かう

(月刊『致知』2011-9月号抜粋)

「私は即座に掃除道具一式をお願いしました。数日後の4月16日、掃除道具を携えて向かった先は、7年前から週一回トイレ掃除に通い続けた多賀城市総合体育館。そこは避難所として、およそ500名の被災者が不自由な生活を余儀なくされていました。私も被災者の一人として、不便な生活を強いられていましたが、どこか冷静に受け止める自分がいました。
 避難所で生活している方々は、汚いトイレでは気持ちが落ち着かないのではないかと心配しました。私は強い使命感を感じて、得た答えは「トイレを掃除する」ことでした。以来、平日は仕事が終わったあとの4時間、そして週末は午前の昼にかけて、毎日トイレ掃除をさせていただきました」

2011年4月28日付 河北新報

 避難所では、私のトイレ掃除が終わるのを待って並ぶ人もおり、やはりみんなきれいなところで用を足したいのですね。多くのボランティアの方が来られましたが、残念ながらトイレ掃除を一緒にしますという人は一人もいませんでした。
 市役所の方が、私の避難所の掃除を見て、「掃除はいいなあ。やってみたい。役所の人間にもさせたいので、協力してもらえませんか」と、言われました。熱心に言われるので、第2・第4土曜日に一緒に掃除を始めました。いろんな方が入れ替わり立ち替わり来られましたが、そのうち言い出した人も来なくなり、2年半で全滅しました。(笑)
 私は、朝4時にゴミ拾いをし、5時からトイレ掃除、それから仕事に行きます。雨が降ろうと熱があろうと例外なし。一人でやります。誰も何も言いませんし、私も何とも思いません。避難所生活が続く中、他の避難所では感染症が起きましたが、この体育館では感染症の発生はありませんでした。10月末に避難所が閉鎖されるまで、一日も欠かさず続けました。

多賀城掃除に学ぶ会の発足

 実は私は、みんなをまとめていく物心両面の自信がなくて、ずっと個人的に掃除をしていました。ところが、2006年(平成18)日本を美しくする会の、仙台での第6回全国大会のときに、「精華堂あられ総本舗」清水精二社長にお逢いしたことが転機になりました。
 社長は私に、「(掃除に学ぶ会は)やりたい人がつくればよい」とアドバイスされました。私は、やるかやらないかは「自分が決めるのだ」と思いました。それで震災2年前の2009年、私ひとりの「多賀城掃除に学ぶ会」を設立しました。
 結局15年間で約2千回、ひとりで掃除をしましたが、大雪でも氷点下でも、掃除を嫌になったり止めようと思ったことは一度もありません。そしてありがたいことに、群馬県みどり市の松﨑靖さんや伊東市の白鳥宏明さんなどのご縁で、全国に知友が広がりました。

心磨きの掃除

 2011年10月、「震災後の地域を良くしたい」と、勉強会仲間の沼田勝雄さん、吉野潤一さんと私の3人が1万円ずつ出して道具を買い、「仙台を美しくする会」を立ち上げました。新宿歌舞伎町のやり方で、毎月第3日曜日の6時から1時間半、仙台市内を掃除します。
 約10名の内の数名が、「多賀城掃除に学ぶ会」の活動にも加わるようになりました。仙台市の小学教師村上幸宏先生もその一人です。多人数になると作業ははかどりますし、とてもありがたく、みんながにこにこしているのが嬉しいです。一方では責任も感じるようになりました。
 2016年(60歳)から、多賀城市役所で市長の運転手を務めています。このコロナ禍でも役所の人と一緒にトイレ掃除を続けています。
 掃除の原点は心みがきであり、これを仕事や人生に活かすことが大事だと思っています。

「生きる糧」の掃除

 日本善行会から「令和2年度善行表彰」を受賞しました。少しでも世の中のために役立っているのであれば、うれしいです。ただ私は、ボランティアはしてあげる、心みがきはさせていただくと考えており、しかもトイレ掃除のプロではなく、心みがきのプロになりたいと思っています。25年間一心不乱に取り組んできたトイレ掃除は、いつしか私の「生きる糧」となりました。

「人間の一生」

 森信三先生推奨の、「人間の一生」という文章が大好きです。長いですが全文を引用します。

 「職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。それから十年本気でやる。すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群を抜く。しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。これからが仕上げだと、新しい気持ちでまた十年頑張る。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。 すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた、十年頑張る。するとこのコースが一生で一番面白い」(引用終)

 「もう一瞬たりとも怠けることなく、人生一気に走り抜けよう、私はそう心に誓いました。この誓いこそがどんな場面にあっても、私に挑戦する勇気を与えてくれたのです」(前出月刊「致知」)

 そんな小畑さんについて、仲間が話します。
 小学校教師の村上幸宏先生「小畑さんと一緒に掃除をしていると、いろいろなことに気付かされます。いつも新しい学びがあるんです」。
 守田理恵さん「あのころ私は体調もどん底でしたが、小畑さんと出逢って、掃除と出会って、人生が変わりました。ありがたいご縁を頂いたことを、トイレの神様に感謝しています」。
(985-0832 多賀城市大代1-13-3)

2021.5.22 多賀城廃寺跡(前列左から、守田理恵、筆者、村上幸宏)