ひとり掃除の喜び

夢兄弟を慈しむ夫婦夢拾い

夢拾い宮城支部 
日下 修・しずえ

 私たち夫婦は、9年前に週1回地域のゴミ拾いを始め、5年前からは毎回道路沿いをトラックで拾っています。9月12日が第400回でした。

妻と始めた地域奉仕

 父が亡くなった2012年(平成24)、宮城県倫理法人会地域奉仕部長を拝命し、週末は各地の早朝ゴミ拾いに出かけました。12月23日、国道の交差点周辺のゴミ拾いを思い立ちました。妻を誘い、寒く真っ暗な早朝、街路灯を頼りに拾い歩きました。車で通ると全く気づきませんでしたが、その多さに驚きました。
 ゴミ袋を前に記念写真、二人とも笑顔でした。次の日曜日も二人で行きました。それから毎週日曜日早朝は、ゴミ拾いが夫婦の暗黙の活動になりました。
 少しずつ範囲を広げ、積雪の朝は雪かきをし、夏は路肩の草をむしり、堆土をスコップで一輪車に積み、わが家の田んぼに運びました。路肩は長く、時間がかかりました。畑仕事をしているので、苦になりません。交差点は少しずつきれいになり、夫婦の呼吸も合ってきました。地域の人が起きる前に終えます。

「夢拾い」との出逢い

 1995年(平成7)、松下政経塾のセミナーで東広島の上野和浩様と同室になり、その後複写はがきで交流しました。上野様から「夢拾い五周年」に誘われ、2015年7月、20年ぶりに再会しました。鍵山秀三郎様も参加され緊張してお会いしました。
 「夢拾い」では、誓いの唱和に始まり、グレーチングや植栽などを徹底的にきれいにし、最後に道具や空缶などを洗い分別し、潰します。参加者の生き生きした感想と爽やかな笑顔が心に残りました。 (「清風掃々」第38号)

「夢拾い五周年」東広島市 (2015.7.4)

見たこともない大量のかわいそうな「夢兄弟」

 宮城に戻り、夢拾い宮城支部として活動を始めました。歩いてゴミ拾いをしていましたが、翌2016年12月18日、初めて三陸道登米インターにトラックで行くと、見たこともないほどの大量の空缶などが落ちていました。泥にまみれ、風雨に晒され、車に轢かれ、見向きもされません。そんなゴミに憐憫の情を感じ、そして捨てた人間に代わって懺悔の気持ちが起き、ゴミを「夢兄弟」と呼ぶようになりました。その姿が愛おしい兄弟に見えたのです。
 仕事などで運転中に見つけると、週末に拾いに行きます。夢兄弟はいつまでもそこにあります。縁石の陰、路肩の草むら、田んぼの畔に隠れている夢兄弟を見つける楽しみがあります。車から投げ捨てるに好都合なのか、広い農道にはいつもあります。食い散らかしたゴミが散乱していると心が荒みます。

私の恩返し

 約2時間、25㎞走行はいつものことです。拾う範囲も、隣の栗原市、大崎市などへ広がっています。拾った夢兄弟は、野菜コンテナ3~4個分になり、洗って分別し、資源ゴミとして出します。
 倫理法人会の仲間からは、「生活道路をきれいにしてもらいありがとうございます」 (登米市はNHK朝ドラ「おかえりモネ」のロケ地)「観光客も気持ち良く見学されるでしょう」と。
 東広島などの夢拾いの皆様から勇気をもらい、傍で支えてくれる妻がいればこそ続けられます。夢兄弟が道路からなくなれば、ドライバーの心は穏やかになり、交通安全に繋がります。美しい農村にゴミは似合いません。夢兄弟を慈しむ夢拾いを、地域への恩返しとして続けます。(987-0621登米市中田町宝江黒沼大海崎2)