続掃除道

『清風掃々』に新しいコラムをつくります。

『清風掃々』編集室

4月、30周年記念誌『掃除道』発行。
 288名の方に、鍵山相談役や掃除からの学びを文にしたためていただきました。多くの読者から、この感動と意義をお聞きしております。
 おかげさまで次世代に残る記念誌ができたのかと、感謝します。
 さて、立派な活動をされている方は他にも多くあると思われます。さらに、新しく掃除を始めた方の話題は生まれ続けます。『清風掃々』で、これらを継続的に取り上げたいと考えます。

寄稿要領  『掃除道』同様
○対象の方
・『掃除道』未掲載の方  自薦、他薦を問わず
・『掃除道』掲載の方   異なる話題での寄稿
・多様な方  職業、年齢、経験、他団体問わず
○内容
・寄稿者ご自身の実践
・鍵山相談役や先輩に学んだこと
 「掃除に学んだこと」を中心に記述
○要領
・字数 600〜800字
・写真 顔写真かスナップ
・送付先 電子メールで編集室(本部)(連絡先巻末)

母の祈りと掃除に導かれて

 岩手県  小松 遊平

 1970年両親は私を麗澤大学に入れてくれました。不得意な外国語学科で、2年で落第・退学。家族は落胆し私は荒れました。
 1975年、両親経営の南部煎餅屋で働き始めました。同年掃除と出会い、社員でイエローハット本社へ研修にも行きました。
 社内では挫折感をバネにがんばり、実績を上げるようになりました。お客の要望を聞いて、後に社長となる兄に提案するのですが、ことごとく却下されました。今考えると、兄は私の高慢心を感じ取っていたのでしょう。
 葛藤の末、40代半ばで「会社を辞めたい」と言うと、普段は一切弱音を吐かない気丈な母がそのたびに泣きました。母は8人兄姉の末っ子で7人は早世、ただ1人の生き残りだったのです。「やっと食べれるようになりここまできた。生きていたら兄弟仲よく力を合わせるのが当たり前でないか」
 私は悩み苦しんだ挙句、「今の人生は捨てる。母からいただいた命だ」と、一切意見をしない、そして自分の生きた証しを掃除でしるすと決めました。汲み取り式で待合室まで臭いがする二戸駅の夜のトイレ掃除、冬の水の冷たさも乗り越えました。中3日で約3年続けた2002年新幹線駅舎になり、同時期思いがけず兄が私を専務にしてくれました。
 母は、子孫に悲運の人生をさせたくない一心でモラロジーとのご縁を得ており、その関係で私は2013年の定年退職と同時に、モラロジー研究所東日本生涯学習センター長を拝命しました。
 受講生とトイレ掃除をし、鍵山様にも講話をいただきました。今、弊社では社長や幹部がトイレ掃除をしています。母の祈りと掃除が、私を幸せの道に導いてくれたことに心から感謝しています。
(028-6103岩手県二戸市石切所字台中平67-1)