教育と掃除

出会いは人生の道しるべ(1)

福岡県中学校元校長 福田 隆光

 福田隆光先生(65)は、やんちゃな生徒に豊田詔子さんを出会わせ、校長になってからは学校教育に掃除を採り入れ、地域の教育向上に大きく貢献されました。



 私は、1957年北九州市で土建業を営む父母の4人兄姉の三男として生まれました。祖父が講道館柔道初段の指導者であったことから、質実剛健、質素倹約の家風でした。小さい頃から、障子や襖の張替え、畳の天日干し、風呂掃除など家の手伝いをよくしました。
 私が小学校のとき家業が倒産し、家計が苦しくなりました。中学校で剣道を始め、県立嘉穂高等学校では、吉岡輝城先生(後に校長)は部をインターハイ優勝に導かれました。
 吉岡先生は、学校の剣道場「淬砺館」(さいれいかん)の由来について、淬「にらぐ」、砺「とぐ」という意味で、刀匠が刀を鍛えるように、勉学・武道・人間形成に努力精進し、社会に貢献しなさいと、文武両道を強く指導されました。
 卒業後は、学費が少なく奨学金返済義務のない教育大学を選び、剣道を活かせる保健体育科に進みました。これが教師になったきっかけです。
 大学では角正武先生に、立ち居振る舞いや人を育てる剣道の意義などを叩きこまれ、これが私の人格形成の基になっています。


やんちゃな生徒に向き合う
 1981年教師奉職。当時テレビ番組「スクールウォーズ」がはやり、荒れた学校が社会問題化していました。教師の使命を胸に、子どもと正面から向き合うよう努めました。
 その後福岡県教育センターなどに異動し、いじめ・不登校・問題行動対応の業務に就き、積極的な生徒指導の必要性を感じるようになりました。
 1999年、飯塚市のA中学校に新任教頭として赴任。飯塚市は炭鉱で栄えた後、閉山により急激な過疎化が進みましたが、近年は土地開発によって一定程度人口が増加しています。
 その学校には、〝やんちゃ〟な子が数人いて、反抗的な態度が他の生徒に悪影響を与え、重い雰囲気が漂っていました。彼らも周りから色メガネで見られ、問題児扱いされて心を閉ざしていました。


豊田詔子さんとの出会い
 そんなとき、元PTA会長の久保井伸治さんから話がありました。
 「トイレ掃除仲間の豊田詔子さんの講演会をしてはどうか? 豊田さんは車椅子なので、子どもらに事前に会ってもらって、来校時に手伝ってもらっては?」
 豊田詔子さんは、飯塚市出身。生まれながらの難病で身長96センチがゆえに、はげしいいじめを受けられました。独力で車の免許を取って健康食品の訪問販売を始め、現在クロスタニン筑豊センター代表を務めています。トイレ掃除もされ、全国で講演活動をおこなっておられました。
 早速子ども4名を連れて、豊田さんのお店に行きました。豊田さんは、彼らが素直に聞き入る様子を大変喜ばれ、学校での講話を快諾されました。2000年7月12日、講話「感謝の日々に生きる−障がいを乗り越えて−」は、全校を感動に包み込みました。そのとき車椅子の介助をした子どもたちは、とても優しい表情をしていました。

豊田詔子さん(前列中央) 2016.9.18


鍵山相談役との出会い
 それから間もない7月29日、豊田さんに「山口養心の会」に誘われました。そして鍵山秀三郎先生を紹介されました。鍵山先生は穏やかな方でしたが、私はすべてを見透かされているように感じました。
 豊田さんには、進路指導学習会での「てんびんの詩」上映会もお世話いただきました。
 私は、やんちゃな子らと昼休みにソフトボールをしたり、通学合宿(日中は学校、生活体験学校で宿泊)をしたり、交流が深まっていきました。朝の10分間読書を全校で始めたり、空き教室を生涯学習教室として地域に開放していくなかで、学校の雰囲気は徐々に落ち着いていきました。
 豊田さんとの出逢いはとても大きいものでした。豊田さんによって、鍵山先生、「掃除に学ぶ会」を知りました。ところが私はその後、教頭として4校および飯塚市教育委員会への異動が続いて多忙を極め、現場でトイレ掃除を実践するまでに12年を要しました。「心ここに在らざれば、視れども見えず」でした。


トイレ掃除と廣瀬透さんとの出会い
 2011年、仕事上で実践による学びの必要性を感じていた私は、一人で田川掃除に学ぶ会(現筑豊掃除に学ぶ会)の「心磨きのトイレ掃除」に参加しました。廣瀬透さんとの出会いです。素手で磨くトイレ掃除は、剣道の稽古に通じるものがあり、私は本当に感動しました。
 トイレ掃除は、子どもが「出番」と「役割」と「承認」を体験できるもので、子どもの自己肯定感を育てると確信し、教育現場で実践したいと思うようになりました。
 2012年、小中一貫教育校開校を翌年に控えた頴田(かいた)小学校に新任校長として赴任したとき、トイレ掃除会を計画しました。翌年3月廃校となる校舎へ感謝の気持ちを表わそうと、6年生の卒業記念の「心磨きのトイレ掃除」開催を廣瀬さんにお願いしました。
 ほとんどの先生方は疑心暗鬼でした。そこで廣瀬さんと村瀬孝平先生に講師をお願いし、2回の事前研修をおこないました。村瀬先生は、私の母校嘉穂高等学校校長だった方で、今も筑豊掃除に学ぶ会でご指導いただいています。


現場での初めてのトイレ掃除会
 2月3日開催にこぎつけました。「筑豊掃除に学ぶ会」に加え、遠方からも多くの方が来てくださいました。リーダーの話を聴く子どもたちの目の輝きを、今も忘れられません。次は、感想文の一部です。
 「頴田小学校はもうすぐなくなるからいいじゃなく、だからこそ、価値を持ってできたと思います。
 私は、心をどう磨くのか教えてもらいました。それは手のひらにありました。たな心というところです。そのたな心を使ってしっかり掃除する。つまり心で掃除するという意味です。私は今日心がピカピカになったと思います。心は見えませんが、感じ取れます。
 そして、みんなはイジメなど絶対にしないと思います。こんなに一生懸命に手を突っ込んで掃除した人たちは、そんなことはしないと思うからです」


トイレ掃除の意義を確信する
 私は、トイレ掃除の教育的意義を確信しました。それは、「トイレを磨く中で多くの気づきを得、物を大切にする心を育て、物にも心を見出し、感謝と感動と謙虚さを生み出し、人間関係を大切にし、心豊かな社会を目指す」ということでした。そして何よりも感動したのは、「見ず知らずの方が、手弁当でどうしてここまでしてくださるのだろうか」ということでした。
 以降私は、2018年の定年退職までの7年間で、計13回「心磨きのトイレ掃除」を開催させていただきました。2013年から2年間は内野小、2015年から3年間は同じ校区の筑穂中の校長を務めました。したがって2013年に内野小の5年生だった児童は、5年間毎年「心磨きのトイレ掃除」を体験したことになります。
 内野小は全校児童50名ほどの小規模校で、校内に梅林がありました。そこで採った梅を梅干しにし、指導くださった皆さんに差し上げて喜んでいただいたことが、昨日のことのように思い出されます。
 当初は孤立無援でしたが、いつも廣瀬さんに励まされて元気が出、回数を重ねるにしたがって、現場にトイレ掃除が定着してきたように思います。    (つづく)