靖國神社の清掃奉仕

東京掃除に学ぶ会 渡辺 栄司

  • 期間 2014年3月29日~
  • 内容 トイレ掃除と参道清掃
  • 回数 28回(内鍵山教師塾8回)
  • 人数 延べ1488人

始めた経緯など

村田陽先生(鍵山教師塾主催)

2014年(平成26)鍵山相談役に学ぶ教師の勉強会「鍵山教師塾」を始めるに当たって、清掃実習は必修と考えていました。第1回は東京開催に決まりましたが、最大の懸案は会場でした。都心で早朝の清掃実習が可能で、かつ、その後の講演会や研修会の会場も近隣にある箇所を検討していたところ、靖國神社が脳裏に浮かびました。靖國神社は、教育界ではタブー視されている面もありますが、かねて個人的に清掃奉仕活動をしていたところでもあったため、ダメ元で相談してみたところ、ことの外「快諾」に預かり、開催を決めました。

藤岡利雄氏(初代担当責任者)

村田先生が鍵山教師塾を行った4か月後の7月20日、東京掃除に学ぶ会が始めました。鍵山相談役が、私を世話人に指名されたと聞きました。相談役は仰いました。

「小さいころこの裏に住んでおり、学校に行くときにいつも拝んでいました。戦没者は勿論ですが、残された家族も悲惨で、離縁された妻が実家に帰り、そこでも辛い生活が待ち受け、自ら命を絶った女性もいたとか。そんなすべての人たちのことがずっと頭にあり、靖國神社を清掃したいと思い続けてきました」

私は、靖國奉仕をするたびに、特攻隊や外地で亡くなった方々は、どういう思いをもって亡くなっていったのかと考えます。自分のことしか考えない今の日本人を見てどう思うか。そんなことに思いを馳せられないような民族は、滅びるのではないでしょうか。

靖國神社管理課

現在清掃奉仕をして頂いている団体は50くらいあり、その中で200~300回を数える団体を始め、定期的にご奉仕頂いているのは10団体ほどございます。作業は、主に落葉の掃き清掃です。

日本を美しくする会の皆様には、6年前からご奉仕頂いておりますが、神社の意向に沿って実施され、また2時間を超えての作業を実施して頂いております。國を思い、愛する家族・故郷を護るために散華された英霊は、熱意ある皆様のご奉仕にさぞかしお喜びのことと推察しております。皆様のご奉仕に厚くお礼申し上げます。

第10回靖國神社トイレ掃除

2020年9月13日(日)

コロナ対策をして、参加者20名。参議院議員水落敏栄先生と秘書の方2名も参加されました。

参加者感想

「自分たちが掃除したトイレを、たくさんの人に喜んで使ってもらえてうれしい」「きれいになったら頭もすっきりした。積極的に参加する」「靖國神社は、修学旅行のコースに入っていないそうです。私たちがここで掃除をする意義を、他の人に伝えたいと思います」

日本遺族会会長
参議院議員水落敏栄氏

「新潟十日町の村山政文さんの紹介で、この会のことを知りました。『清風掃々』や『トイレ掃除の奇跡』を読ませてもらって、暴走族が更生するというすばらしい力がこのトイレ掃除にあることを知りました。今日初めてやってみたが、(2時間近くも作業して)こんなにしんどいものとは知らなかった。(笑)

道徳教育は、頭でなく体で覚えるものです。特に小学校での団体活動では、先生も一緒にやったり、上級生が下級生に教えたりすることの意義は大きいと思う。しかしこのような会のことを知らない人が多いので、皆さんの活動が広まってほしいですね」

『凛とした日本人の生き方』
鍵山秀三郎・モラロジー研究所

なぜ靖國神社に参拝するのか

全国の志ある方々と、靖國神社のトイレ掃除を始めました。参拝者のご迷惑にならないよう、朝6時から開始します。

私は11歳まで、靖國神社の裏に住んでいました。境内が通学路だった為、行きも帰りも本殿の横で立ち止まり、帽子を取って一礼するのが習慣になっていました。特定のイデオロギーを持っているわけではありません。亡くなられた方々に対して慰霊の気持ちを持ち続けるのは、人間として当たり前のことです。理屈ではありません。

かつての日本人は、神社や仏閣に対して自然と頭を下げる畏敬の念を、誰もが持っていたものです。しかし、戦後、富と自由を手にした代わりに、目に見えないものを大切にする美しい心を見失ってきました。特に靖國神社は「軍国主義の象徴」という誤った認識によって、国内外から非難にさらされ、参拝を避ける人がたくさんいます。残念でなりません。

戦争を肯定する考えはありません。軍隊を賛美するつもりもありません。しかし、自分たちの国を自分たちの手で守るために命を捧げた方々の御霊に頭を下げることは、この国で暮らす者として当たり前のことであり、義務であると思います。

私は、戦災により安穏とした暮らしを失ったとき、これまでの自分がいかに親兄弟から守られてきたかということに初めて気がつきました。不自由のない平穏な状況にある時、人は自分が守られているということに鈍感になるものです。一方で、自分の権利が守られなかったり、要求が通らなかったりすることに関しては、常に敏感になっているのではないでしょうか。それが戦後の日本人の姿です。


靖國神社の由緒 『参拝のしおり』(編集)

明治日本は歴史的大変革にあり、国内に避けることのできない不幸な戦い(戊辰戦争)を生み、近代国家建設のために尽力した多くの尊い命が失われた。そこで明治天皇は、1869年(明治2年)これらの人々の霊を慰め、その事績を後世に伝えようと、招魂社(明治12年に靖國神社)を創建された。

その後も、西南の役、日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、第二次世界大戦などの戦争に際して、国を守るために尊い生命を捧げた246万6千余柱の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、斉しくお祀りされています。

明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作といった幕末の志士や、戦場での従軍看護婦や女学生、動員中に軍需工場で亡くなった学徒などの民間人も含まれています。また当時、日本人として亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々も同様に祀られています。

このように多種多様な方々が、祖国に殉じた尊い神霊として一律平等に祀られているのは、靖國創建の目的が、「国家のために一命をささげられた人々の霊を慰め、その事績を後世に伝える」ことにあるからです。