教員生活に悔いなし(1)

元山口県公立中学校長
三好 祐司

私は今年2020年(令和2)3月31日付で定年退職し、35年間の教員生活を終えました。このうち3年間は県教育委員会文化課で埋蔵文化財の発掘調査に従事し、5年間は全日本教職員連盟の専従役員として東京勤務しましたので、実質28年間の教員生活です。そのうち教頭を2年4か月、校長を6年間務めました。コロナ騒動の中退職の日を迎えましたが、その時心の底から湧きおこったのが、「最後がこの大畠中学校(柳井市立)でよかった」という思いでした。もちろん、退職者の多くが最後の学校を振り返って、「ここでよかった」という感想を持つことでしょう。しかし、私の場合はその思いが誰にも負けないものであるというのが、率直な感想なのです。

雰囲気の良かった大畠中

このような思いに至った理由ですが、生徒全員が自分の可能性を追求しようと努力を重ね、自分の良さを堂々と出し切り、仲の良い関係を作ったということ。そして先生方がとても仲良く、職員室にはいつも笑い声が絶えなかったということです。不登校になる生徒もおらず、転校してきた不登校生徒が大畠中に来たとたんに学校に来るようになり、高校受験に挑戦し、今では普通に高校生活を送っているという例もありました。地域の皆さんや市教委・県教委からは、「とても雰囲気の良い学校ですね」と言われました。

私の最後の年の3年生は、入学当初は低迷していた成績もぐんぐん伸び、全国学力学習調査では国語と数学で、国平均も県平均も上回りました。この時初めて導入された英語については、あまり良い成績ではありませんでしたが、高校入試では3年生全員が志望校に合格しました。自分の学力以上の学校に挑戦した生徒に合格通知が届いた時には、職員室が喜びの声に包まれました。このような大畠中での実践をまとめましたので、参考にして頂ければ幸いです。

私の掃除との出会い

私が掃除の世界に入ったのは、鍵山相談役との出会いがきっかけでした。全日本教職員連盟(以下全日教連)の委員長として、文部科学省や各種団体、国会議員とやり取りをしていたころ、愛媛県選出の小野晋也衆議院議員が鍵山相談役に会う機会を作ってくださいました。

小野議員は、当時文部科学副大臣であられ、全日教連の理念に共感され、特に懇意にして頂いていました。全日教連は日教組の左翼的イデオロギーに異を唱えて結成した教職員団体で、「美しい日本人の心を育てる」ことを基本理念としています。全日教連は、教職員を、日教組の「労働者である」ではなく、「教育専門職である」と定義し、教職員自らの研鑽に重点を置き、児童生徒からの尊敬と保護者の信頼を得ることにより、その待遇改善を要求する団体として活動していました。

そんな全日教連に理解を示されていた小野議員がある日、ご自分の少人数の教育懇談会に私を招かれ、そこでお会いしたのが鍵山相談役でした。そのときは、相談役がどのような方かよく存じ上げませんでしたが、後日小野議員からその人となりをお聞きし、「ぜひお近づきになり、いろいろと教えて頂きたい」と思い、新宿街頭清掃に参加するようになりました。

ここから、私の掃除人生が始まりました。以後、鍵山相談役にはイエローハット本社で対談させて頂き本にまとめたり、大畠中に講演でお越しいただいたり、いろんな場面で教えを受けるようになりました。全日教連の地方団体の多くが、その地域の掃除に学ぶ会と交流を持つようになり今日に至ります。

大畠中で力を入れたこと

(1)掃除

大畠中勤務は2度あります。1度目は東京勤務を終えて山口県に戻って来た2007年(平成19)からの4年8か月で、5年ぶりに教諭として社会科を教えました。全校生徒は約80人でしたが、当時は生徒指導面で手のかかる生徒が何人かいました。大畠という地域は漁師町で、言葉遣いをはじめとして生活態度が上品とは逆を行く生徒が多いというのが、多くの人が持つ印象です。その一方、心を許すと何十年も前からの友人の感覚で受け入れてくれる地域性があり、腹を割って付き合える保護者が多くいました。

着任してすぐ気づいたのは、掃除に対するいい加減な取組でした。学校掃除はどこも15分で、大畠中も同じですが、生徒たちは割り当ての場所に行き、とりあえずほうきをもって掃くという、「何となく」という表現がぴったりの掃除でした。1学期を終えるころ「これではだめだ」と思い、岩国掃除に学ぶ会にお願いして大畠中生徒と教職員全員でトイレ掃除を実施しました。

東京で月に1度新宿街頭清掃に参加し、山口県に帰ってからも岩国掃除に学ぶ会に参加していたため、大畠中でもぜひ掃除の会をしたいと思っていました。トイレを素手で磨くという体験は生徒にとって衝撃的だったようで、掃除に対する考え方を大きく変えるきっかけになったようです。

掃除のやり方を工夫する

2学期から、全校生徒を縦割り班(学年を解いて、3年生を中心に編成)にして、掃除場所も毎週ローテーションで変えて、マンネリを抜け出す方法もやってみました。また、「掃除コンテスト」も行い、本気さや工夫の跡が見られる班や個人を表彰しました。このような取り組みは、確実に生徒の心に響いたようで、学校全体が穏やかになり、生徒指導上の課題も目に見えて減っていきました。

また、文化祭に向けて、全校生徒がグループに分かれ「チャレンジタイム」という時間にさまざまな取り組みをしますが、私は「掃除に学ぶコース」を設定し、これに応募してきた生徒と一緒に校区内の公民館や小学校のトイレ、公衆トイレなどを掃除して回りました。初めての年は10人ぐらいでしたが、年々応募者が増え、最後の年には25人となり、彼らとさまざまなトイレをきれいにしていきました。

生徒たちは掃除の方法をすぐに覚え、2時間でトイレ内の便器から床や壁をきれいにし、道具の片付けまで行い、それは近所の人が驚くぐらい手際よくやりましたから、「習うより慣れよ」とはよく言ったものです。

その後、私は教頭として下関市に転勤になりましたが、大畠中では年に1度は掃除に学ぶ会を実施し、そのたびにリーダーとして呼ばれ、生徒と一緒にトイレ磨きをしました。トイレ掃除は大畠中の伝統となりました。

校長として2度目の大畠中

2017年(平成29)4月、校長として再び大畠中に赴任しました。全校生徒による掃除に学ぶ会はもちろん、「チャレンジタイム」を利用した公民館や公衆トイレ磨きも再開し、生徒とともに掃除に汗をかきました。このように、大畠中に在籍した生徒は全員トイレ掃除を経験し、掃除に対する考え方は他校の生徒とは違います。多くの学校にありがちな、掃除の時間に先生が生徒を「見張る」ということは全くありません。生徒も先生も共に一生懸命取り組みますので、誰がどこを担当しても、責任をもって掃除しました。そんな掃除への取り組みが、多方面に良い影響を及ぼし、生徒指導の問題の消滅につながっていったのだと思います。

掃除の効用は、本来生徒が持っている素直さを呼び戻し、教師の指導がすうっと入っていくということです。そのため、学習面においても教師の指導が入りやすくなり、生徒も自分の成績の伸びを素直に喜べるようになっていました。教師は、教え方のハウツーを研修するより、生徒の素直な心を呼び戻す掃除に力を入れた方が、学力向上にも大きな効果を発揮すると実感しました。

(つづく)