特 集

『掃除道』発行の振り返り

 日本を美しくする会設立30周年記念の中心事業の一つが『掃除道』発行です。多くの感想をいただきましてありがとうございます。
 感想と編集員の振り返りです。

読者の皆様の感想

全体
○至れり尽くせりの実に見事な書籍です。文章の校正はもとより、縦書き三段組で、文字も大きく間隔もあり、筆者の写真が添えられ、一人一ページですぐ読み切れるのがありがたいです。
○装丁を含むすばらしい仕上がり、ゆうパックを開けた瞬間に感動しました。どの方も掃除に真摯に向き合っておられ、清い心が文面に漂っており、感化される思いがいたします。


本誌の特徴・意義
○この書は鍵山相談役の評伝であり、実践記録とその証言集であると思いました。相談役が人生をかけ、種を蒔き、育ててきた成果がここにあります。
○1ページごとに寄稿者の生き方を通して、掃除の効用が凝縮されていると感じました。相談役が私たちに示して下さった教えであり、掃除道のバイブルとして相当な読み応えがあります。
○掃除が目的ではなく、そこから得た気づきを、生活に落とすことが大切ということを、仲間と共有する1冊でした。
○ここで過去の30年を振り返り、次の30年に向けての節目になったと思います。
○「序文・お礼・後記」の幹部3文書は、会の歴史を振り返り、関係者へのお礼や今後のことにも触れて、とても立派と思います。ここまで見事にまとまった本は、そうそう目にしません。


私はこのように読んでいます
○何と美しく立派な本か! 言葉がないほどでした。楽しみに、毎日2、3ページずつ読んでいます。相談役にお会いしたときと同じで、涙が流れてしまいます。
○こんなに全国や世界でがんばっている仲間がいるとパワーをもらい、やっていこうと思えました。繰り返し読めるのがうれしいです。写真付きなので、存じ上げない方にも親近感がわきます。
○大変な読み応えがあります。付箋だらけ、書き込みだらけです。相談役との出逢いで人生が変わった、会社が変わった、学校が変わった、地域が変わったなどの、変わった側からのお話しは説得力があります。
○本誌は、さっと読むものではなく、掃除が一人ひとりの人生を刻んでいる証の本であり、掃除の素晴らしさを見直す教本と思います。この本こそ掃除道であり、人生の指針の本だと思います。


編集について
○外注に頼んで、すぐできる程度に思っていました。このような形になるとは思っておらず・・・。
○私の稚拙な文を、意味の伝わる文にしていただきまして、お礼申し上げます。
○思いを文章にすることは難しいです。相談役との思い出話であったかもしれない原稿を、人生が良くなったというところまで引き上げて文章にされており、本当に感謝しています。
○この種の誌の編纂は、出版社に外注することもあるのでしょうが、掃除を知る人がかゆいところに手が届くように、執筆者の思いを聞いて文章に表現したところが、本書の一番の特徴では。


『実践人』誌の「佳書紹介」より
○「資料的価値が高いのはもちろんですが、圧巻は何と言っても288名の実践と学びでしょう。切れば行間から血がにじみ出るのではと…」
*  *  *
編集員による振り返り
記念誌刊行会編集グループ
 「編集」には、全体の8割以上のエネルギーをかけたと思われます。これを、掃除を知り人脈のある内部ボランティア6名でおこないました。この振り返り(文中○)です。

編集の方法
 経験のない方もいたため、皆で編集のやり方を学び、それを統一することから始めました。
 まず「編集マニュアル」です。校閲と校正の意味や寄稿者様への質問のポイント、句読点、年号や数字、カッコの使い方などを、オンライン会議で学びました。
 次に、「編集ワークシート」です。編集員は、「寄稿元文」と「質問・回答メール」「編集文」の3点セットを、一枚のシートに記入し、これを編集長に提出します。これで、編集長は文章の背景や内容がわかり、2次編集できます。
 やり方を揃えるために、数回の打ち合わせが必要でした。
○編集マニュアルやワークシートは、とてもシステマチックで仕事がしやすく、良かった。
○よく考えられた編集マニュアル、手順だったと実感します。


記念誌の意義について
 制作を内部で行った目的は、コストとともに人材育成もありました。初心者には質問することに専念いただき、難しい文章の校閲は別の人がおこなうという、作業の分担をおこないました。
○1人が仮編集したあと、2次編集することでスピードアップした。このチームプレーは絶妙だった。
○本をつくるという結果だけでなく、そのプロセスに思いをこめる、その過程が人づくりになる。これがこのボランティアの枠組みだったのだと、終わって実感します。
○30周年の節目での発刊は、「掃除道」第二章の始まりであり、大変意義深いものがあります。


編集をしてみての感想
 寄稿者一人ひとりとのやり取りは、時間も手間もかかりましたが、その過程で学びもあり、良かったという感想もありました。
○メールがなく、電話も通じない場合もあり、郵便でやり取りして、相当の手間と時間がかかりました。
○入院中だとして固辞されていた方が、息子さんが口頭で文を起こしてまとめたことは嬉しい想い出です。
○編集文章をお送りすると、「良い文章になりましたね」と言われたのは、うれしかったです。
○縁を温め直したり、知らない方のことを知れました。数回の原稿修正は一苦労でしたが、その方から学ぶこともあり、いい苦労をさせてもらいました。


ご意見やお叱りなど
 発行遅れに対するお叱りが中心でした。清風掃々第45号で報告しましたが、寄稿文が期限を過ぎて多く寄せられたことが大きな理由です。しかし反面、当会による案内が浸透していなかったことを知ることになりました。
○刊行遅れの問い合わせを、直接受けたのは苦痛でした。会として対応できていないことは残念。


発行後のクレーム
 発行後は、6件のクレームをいただきました。まず「原因」を調べ、それを寄稿者にご説明し、お詫びと再発防止策を含め、ご理解をいただくように努めております。
 編集責任と思われるものは、3件と考えております。深くお詫びいたします。それは、お名前の一部漢字の誤変換、実態と違う表現(編集)をしたなどです。他には、人の評価は後年すべきものだ、などのご意見もいただきました。
 対応は、正誤表の発行、および改訂文を印刷した「ラベルシール」をお送りし、間違いの箇所に貼り付けていただくお願いをしております。誠に申し訳ありません。


最後に…教訓
 編集の困難として、前報(第45号)で、寄稿の納期遅れや、お返事がなかったり遅かったことを報告しました。しかしこれは、私たちも日ごろ、別なところでやっていることであろうと思います。
 鍵山相談役は、「人を喜ばす」ことを勧め、人生哲学「凡事徹底」は、その条件として「①すべてに行き届いている ②その人の主義と行動が一致している ③すべてのものを活かし尽くす」とあります。
 また森信三先生の「再建の三原則」は、「時を守り場を清め礼を正す」です。
 掃除をする人は、「場を清める」はよくされていると思われますが、「時を守り」、「礼を正す」についても、人の困ることをせず、「人を喜ばせる」ことにも努力したいものだと気づかされる機会でした。
 皆さまのご協力で記念誌が発行できたことにお礼申し上げます。

ハガキと掃除

縁を取り持った坂田道信先生
 1988年ころ、異業種交流会「21世紀クラブ」を主宰していた田中義人氏は、坂田道信先生を講師に招きました。その後坂田先生はたびたび恵那を訪問したり、ハガキのやり取りによって田中氏と交流を深めました。
 1991年11月23日、恵那郡蛭川村「博石館」での「恵那ハガキ祭り」には、鍵山相談役や寺田一清先生らも参加されました。
 その夜、相談役はじめ8名が田中氏の自宅に集まりました。経営に行き詰まっていた田中氏は、相談役の「掃除をすることで、会社も人生も変わってきました」と聞いて、翌日から近所の神社の掃除を始め、掃除の道に入っていったことは知られています。
 神社が変わっていくことで、掃除の力と魅力を知った田中氏が中心となって、1993年(平成5)11月7日大正村で開いた「第一回掃除に学ぶ会」には、全国から35人が集まり、掃除が各地に広まる始まりとなりました。坂田先生が、今の掃除道発展のきっかけをつくったのです。
 この時期に、坂田先生は鍵山相談役と田中氏に宛て、この出会いを喜び、将来の掃除に学ぶ会の姿を予見する手紙を書いています。

坂田道信先生の手紙



 

ハガキのうた
 作詞・作曲  北村遥明

夕暮れ時に 帰ってくると
ポストに一枚ハガキがあった
いつもは会えない友の人生が
キラキラ光ってこころに届く
一人だけを想い描いた
手書きの文字は温かい
下手でもいいよ 自分らしく
僕らは ここで生きてる

たった一行の言葉だけで
僕も誰かの支えになれる
たった一行の言葉なのに
明日への希望をそっともらえる
奇跡のような出会いとともに
新たな夢を運んでくれた
僕の人生を開いてくれた
ハガキに今日もありがとう

お気に入りのボールペンが
朝日を浴びながら 輝いている
ハガキを書かせてもらえることは
いただくよりもしあわせなこと
想いを文字に刻んでゆけば
こころの迷いが消えていく
生きることは 自分だけの
世界を 作ってゆくこと

たった一行の言葉だけで
僕も誰かの支えになれる
たった一行の言葉なのに
明日への希望をそっともらえる
奇跡のような出会いとともに
新たな夢を運んでくれた
僕の人生を開いてくれた
ハガキに今日もありがとう
ハガキに今日もありがとう

ユーチューブ
https://youtu.be/0bbULnfhOu0

ハガキと掃除座談会
■日時 2023年6月12日(月)
19~20時
■参加6名(オンライン)
 北村遥明、木南一志、山口健次 吉岡由紀、縄田良作、池永重彦

―ハガキと掃除を始めたいきさつをお話しください。
【北村】 滋賀県の高校教員です。28歳のとき、陸上で日本一を13回達成された原田隆史先生の勉強会で、大谷育弘先生と出会い、掃除を始めました。滋賀の木谷昭郎さんに複写ハガキを教えていただきました。
【山口】 石川県の山口です。ハガキのきっかけは、モラロジー道徳教育財団の研修会でした。講師の机の上に、「ハガキは人生を変える」があり、著者の半田正興さんにハガキを出すと、能登ハガキびとの会に誘われました。そこでイエローハット社長の鍵山さんに出会いました。
【木南】 兵庫県で運送業をしています。会社経営で悩んでいたころ、北九州市の石丸龍さんから鍵山さんの講演会に誘われて、トイレ掃除を体験しました。3日後、鍵山さんからハガキが届きました。カーボンで写した字を見て、「ハガキとはこう書くのか」と、メモ用紙にカーボンを置いて書きました。そんな写しが5冊あります。
 その後、坂田道信さんと出会いました。先日の広島ハガキ祭りで、田中義人さんと鍵山さんの出会いは、坂田先生がきっかけで、ハガキが先だったと知りました。
【吉岡】 京都でドックカフェとホテルをしています。10年前にがんを患ったとき、倫理法人会に誘われ、福井三千子さんに「掃除と倫理は両輪」と教えていただきました。ハガキは、滋賀県の能登清文さんがきっかけです。
【縄田】 企業戦士だった私は、1993年43歳のとき「致知」を読んで森信三先生を知り、「実践人の家」に入会、、地域の異業種交流会で石丸龍さんに出会って人生が変わりました。「北九州ハガキ祭り」で坂田道信先生と、「第一回北九州掃除に学ぶ会」で鍵山相談役にお会いしました。
 複写ハガキ転じて一人誌を、郵送で20~30人、メールで多くの方に送らせていただいています。その後海外勤務5年間もゴミ拾いを続け、定年退職後に東京の活動に参加し、2020年から清風掃々の編集を担当しています。
【北村】 私は、坂田先生の御縁庵に何度も行きました。「ハガキは教育である」との森信三先生の言葉を教わりました。「生徒にハガキを書きなさい」ということです。徳永康起先生は朝3時に起きて、教え子にハガキを書かれました。
 私も書き始め、担任をした生徒に、20歳まで誕生日にハガキを送っています。保護者へも書いています。坂田先生から、通信簿には、数字では見えない良かったことを書いて貼って渡すよう教えられました。10年間続けています。「生徒の通信簿ではなくて、担任の通信簿ですよ。40人いたら書けない生徒がいるでしょ。そのとき初めて、生徒を見ていなかったダメな担任だったと知るのです」と、教えていただきました。


―どれくらい書いておられますか
【北村】 2008年に始め、850冊くらいです。一人誌「虹天」は石丸さんに影響を受けました。命名は寺田一清先生です。原田先生の19時から朝4時までの勉強会に、10年間毎月通い、「生徒の自立には教師の自立」と教えられ、2008年34歳で勉強会「虹天塾」を立ち上げました。
【山口】 私は2007年から「ハガキ通信」を書いています。返事のない人には近況を書き、返事の来る人にはお相手の内容に合わせて交信するように書いています。
【木南】 コロナ前から講演が増えて、相談役を真似て、相手より先にお礼が届くよう心掛けています。300名の従業員に誕生日ハガキを10年続けました。誕生日に届くには準備が必要です。書き忘れて、当日その人の地域の配達局のポストに投函したこともありました。この3年ほど年間4000枚書き、今1131冊目です。


―今後の目標などをお聞かせください。
【山口】 街頭清掃300回を超えてから、50回ごとに鍵山先生に「掃除通信」を送りました。500回目のとき、「雨でお休みしたので、今回は遅れました」と書きましたら、すぐ返事が来ました。
 「雨の中の街頭清掃、ありがとうございます。私も雨の日は休みたいのですが、家内が長ぐつとカッパを玄関に用意しているのです」、とありました。「例外をつくらない」を教えられ、顔が赤くなりました。松下幸之助さんが一万回で初段と言われていますので、掃除の初段を目指し、一万回の「掃除通信」を書きたいです。
【木南】 千枚でやめようと思っていましたら、坂田先生から「ようやく千枚」とお祝いのハガキをいただき、やめれなくなりました。
 ハガキと掃除の共通点は、手間がかかる、毎日例外をつくらない、気づきがあるなどです。死ぬまで掃除を続け、気づいたことをハガキでお伝えしていきたい。
【吉岡】 ハガキが書けなくなったころ、大事な友人が入院しました。彼女に毎日書こうと思い立ち、顔を思い浮かべて、明るい話題を90日間病院に届けました。
 退院後に、「ありがとう。ハガキが支えになった」と涙声で言ってくれました。ハガキが人生に光を与える経験をしました。ゆっくりペースでも続けます。
【縄田】 一人誌は、世の中にアンテナを張り、問題意識を持ち続け、生活に張りが出て、ボケ防止になります。掃除は健康維持や気づきに役立ちます。この二つは続けたいと思います。
【北村】 「ハガキのうた」に、「たった一行の言葉だけで僕も誰かの支えになれる」とあります。ハガキを書くときは、その人のことだけを考え、その人に合う言葉で伝えます。
 教育は一対一が理想です。掃除も、リーダーが横について私ひとりのために教えてくれました。そういった教育の真髄を、掃除とハガキが教えてくれます。

 去る3月14日、坂田道信先生が逝去されました。享年83歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
(編集 清風掃々編集室)