教育と掃除

問題教師の私を変えた掃除

広島県高校教諭 村上 和弘

 32歳の時に生徒に暴力をふるい、辞職していたはずの私は、「掃除」に出会って生き方が変わりました。

軟式テニスに打ち込んだ学生時代

 1972年(昭和47)生まれの私は、中学時代軟式テニス部で体育の先生に憧れ、教職につきたいと思うようになりました。1988年、インターハイ入賞常連校の山陽高校に入学。生来負けず嫌いの私は、猛烈なスパルタによって、予選団体戦で15年連続優勝、団体戦でベスト8に貢献し、個人もランキング選手になりました。
 「日本一になりたい」と日本体育大学に入学したものの成績は低迷、4年生のときに試合成績による学費免除がなくなり、人生初の挫折を味わいました。

母校の軟式テニス部監督に

 卒業後教員の採用枠がなく、広島市体育振興事業団に就職しました。テニスコートの管理に励んでいると、母校山陽高校の校長先生に声をかけられました。軟式テニス部は18年連続インターハイ出場が途切れており、私は「もう一度強くしたい。自分ならできる」と思って、転職を決意しました。
 1996年非常勤講師で就職、軟式テニス部を担当すると、生徒は練習に遅刻するし、部室では寝ていました。次期監督候補でしたが、目立った選手実績がなかったことから周囲は冷ややかで、早く実績を出したいと焦るようになりました。どのように強くするか…スパルタ指導を受けてきた私には、力で抑え込む方法しか思いつかず、厳しく臨みました。生徒は「村上先生に逆らうと殴られるぞ」と言っていました。

暴力に訴える

 同年12月全国優勝して自信を持ち、保護者に「私は殴ります。しかし広島のトップにします」と言っていました。翌年恩人の校長先生が退職すると、先輩に「私は生徒を集めることも有名大学に進学させることもできるが、あなたにできますか」と、生意気なことを言うようになっていました。
 2001年に教諭になり、生徒指導主任、2003年体育クラス担任になりました。生徒欠席ゼロや多くの部活動の全国大会出場などの実績を上げたことで、さらに増長しました。
 学校に寝泊まりし、娘がカレンダーにつけた私の帰宅日は年間13日。私は「家庭を犠牲にして働いている」などと、生徒への暴力を正当化していました。先生の中でも、次第に孤立していたことに気がついていませんでした。そしてついに、全国選抜大会ベスト8になった2005年の夏、生徒を殴って鼓膜を破り、3週間の停職処分を受けたのです。あとで聞くと、理事会で私をかばう人はなく、懲戒免職寸前だったそうです。私はこのとき、いかに自分が周りに嫌われているかを知りました。32歳でした。

人生の転機

 復職したものの監督は解任。これから体育教師としてどうすればよいのか、まったく分からなくなりました。
 さまようように本屋に寄ると、鍵山秀三郎著『ひとつ拾えばひとつだけきれいになる』が目にとまりました。そこには私の思いもしないことが書かれていました。それまでの自分は、勝つためには何をしても良い、結果がすべて、と考えていました。しかし本には「大事なのは結果ではなくプロセス、目の前のことを丁寧にやり続けること」とありました。衝撃を受けました。
 わらにもすがる気持ちで、「この人に会ってみたい」と、2008年1月2日東京行き夜行バスに飛び乗りました。イエローハット本社では、掃除をしている社員さんに「トイレ掃除を教えて下さい」とお願いしました。藤田昭彦さんが長靴を出してこられ、私は教えられるまま無心で便器を磨きました。鍵山相談役は不在でしたが、応接室で藤田さん、阿部豊さん、白土光行さんに、悩みを話しました。
 白土さんは自宅に誘って下さり、「汗をかかれたでしょう。お風呂にどうぞ」と。奥さんが、時間に合わせてお風呂を焚いておられました。生徒に弱さを見せられないという薄っぺらなプライド、そして憧れの教職がいつのまにか勝つことだけが生徒の幸せだと信じて疑っていない…ここで私は自分の大きな間違いに気づきました。湯船の中で泣きました。そして心に期するものがありました。

トイレ掃除を始める

 3日後、阿部さんから鍵山先生の講演が大阪であるとの連絡をいただきました。お会いした先生の第一印象は「普通のおじいちゃん」でした。本当にすごい人は謙虚で、すれ違っても分からないような人だと思いました。
 阿部さんから、広島掃除に学ぶ会を紹介されました。すぐに学校のトイレ掃除に参加し、とても感動し、会ったばかりの井辻栄輔会長と現役警察官の先川孝徳さんに、山陽高校での例会開催をお願いしました。それは2カ月後に実施されました。その後「自分を変えたい」と、早朝の学校トイレ掃除を始めました。
 掃除をすると気持ち良く、自分の嫌なところが出なくなるように感じました。ところが、きれいにしたトイレを汚されることに腹が立つようになりました。「また軸がずれてきていないか。いいことをしてやっているという心になっていないか」と思いました。毎日毎日続けているうちに、掃除が自分の先生になってくれると感じました。

恩人阿部豊さん(中央)と(2019.8.13)

ある不良生徒の更生

 2011年、広島で知らない人はいない有名な不良生徒と保護者がいました。担当教員はノイローゼになり、学校はお手上げでしたので、私は生徒指導主任として手を挙げました。
 ひとりで家庭訪問に行き、学校側の不手際を詫びつつも、生徒の問題行動は直さねばならないと話しました。すると父親は「わしに意見するのか」「わしに意見できるのは先川のおっさんだけじゃ!」と怒鳴りました。あの先川孝徳さんだ、と思いました。そこで掃除の話をすると、「わかった。お前に任せる。こいつに毎朝掃除をさせる」と言ったのです。それからというもの、この不良生徒が腰骨を立てて授業を受けるようになり、早朝トイレ掃除も休むことなく出てきました。
 この生徒は、卒業式で学校長賞を受賞し、両親は涙を流していました。一家の皆さんは、今掃除に学ぶ会の街頭清掃に参加してくれています。

掃除の学びを校風づくりに

 2013年、総務部と掃除を任され、掃除に学んだことを校風つくりに活かそうと思いました。生徒による掃除時間を設け、道具も毎日手入れします。新任教員研修にも掃除を取り入れました。彼らには悩みもあるのでしょう、「村上先生がいつもトイレ掃除をしておられるので、私もがんばれます」と言ってくれました。今7人の先生が自主的に早朝掃除に参加しています。
 ものを大切にしようと、チョークをケースに片づける習慣を学校で展開したり、式典はかけ声なしの「ノー号令」で、生徒の自覚による運営に変えました。昨今保護者から理不尽なクレームが多くなったようですが、すべて私が担当するようにしています。
 昔は分かりませんでしたが、自分が下座に下りると情報が集まり、問題が見えるようになった気がします。先生方からも頼りにされてやりがいを感じます。このような取り組みを重ねていくうちに、次第に校風が穏やかになってきたように感じます。生徒には、思いやりにあふれた日本を支えるリーダーになってほしいと日々念じています。(739-1732広島市安佐北区落合南8-21-11)