掃除でみんなを幸せに

京都掃除に学ぶ会 福井三千子

怨霊疫病退散神社の掃除

京都御所の北約1㎞、「応仁の乱」発端の場として知られる上御霊(かみごりょう)神社がある。早朝鳥居横のトイレを掃除する女性がいた。福井三千子さんと岩﨑典子さんである。便器をていねいに拭き上げ、福井さんはにっこり笑い、「建屋は古いけど、トイレはきれいになって、『観光トイレ』って看板がついたんです。いまは、タクシーの運転手さんたちがよく使ってくださっています」と話した。格子戸からの光で便器が輝いていた。

上御霊神社の祭神は桓武天皇の弟、早良(さわら)親王。天皇との葛藤から非業の死を遂げた。その後疫病と災害が多発し、祟りを怖れた天皇は、794年平安京に遷都し、上御霊神社を造営、怨霊は御霊となり、御所の守護神となり、疫病も退散させてくれた。以来明治維新まで、京都は千年王城の地となった。

坂本孝子さんがはじめ、福井さんを誘った

ここのトイレ掃除は、約25年前「京都掃除に学ぶ会」の初期メンバーで、近くで学生向け下宿を営んでいた坂本孝子さんがはじめた。目立たない善行を重ねると、その徳が病気を治してくれると思っていたそうだ。坂本さんは、掃除をはじめて実際に心身ともに元気になったので、まわりの人に掃除の有難さを伝え、また生活困窮者への炊き出しなどの社会奉仕活動もするようになった。そんな時、坂本さんは「いろんな悩みや苦しいことがあってもお掃除したら、いっぺんに良くなるよ。いっしょに上御霊さんのお掃除せえへん」と福井さんに声をかけ、福井さんはお手伝いをするようになった。

岩﨑典子さんが加わった

2003年(平成15)1月、雪の降る寒い朝、お百度参りする女性がいた。坂本さんは声をかけようかと迷ったが、ただごとではない様子に少し待つことにした。お百度参りはつづいた。ある朝、その女性から声をかけられた。「岩﨑典子といいます。お掃除、一緒にさせてもらっていいですか」。もちろん大歓迎した。一緒にトイレを磨いた。

終わって岩﨑さんは言った。「問題は何も変わってないけど、カーテンが開くみたいに心が晴れました。こんな気持ちになるなんて、思ってもみませんでした」 その日から、坂本さんと岩﨑さんの毎朝掃除が始まり、坂本さんが亡くなる2014年(平成26)まで続いた。福井さんは、坂本さんが亡くなって語った。「坂本さんのお掃除は祈りやったと思うんです」 そして、福井さんは決めた。「ここのお掃除を死ぬまで続けさせてもらおう」坂本さんの思いは、福井さんと岩﨑さんに受け継がれたのだった。

(福井さん(左)と岩﨑さん)

掃除をするとなんかうまくいく

福井三千子さんの話をする。旧姓は木村、西陣織の帯屋に生まれた。母は住み込み店員の世話に忙しかった。寂しかった。母の喜ぶ顔を見たさに、家事手伝いやお墓参り、トイレ掃除もした。「トイレ掃除したら、なんでか知らんけどうまくいく」と、いつも不思議に思っていた。

中学に入ると、テニスに夢中になった。試合に勝ちたい。「どうか勝たしてください」と、コート横のトイレを掃除した。テニスはめきめき上達し、京都代表で国体に7回出場、大学3年のときは全日本学生ソフトテニス大会で優勝した。試合で全国に出かける費用はすべて選手の負担だったが、父が出してくれた。父は「全部応援するから、わしの言うとおりお見合いせえよ」と言った。

昭和37年、父が「ここ行ってくれへんか」と見合いの話を持って来た。お相手は三条の老舗『みすや針』福井家の長男で、子宝に恵まれなかった福井家が暖簾を守るために養子に迎えた人だった。

結婚、葛藤、倫理との出会い

『みすや針』は「一条戻り橋、二条きぐすりや、三条のみすや針」と、京わらべ唄にも唄われた慶安4年(1651年)創業の老舗中の老舗。屋号は第111代後西(ごさい)天皇から賜ったそうだ。宮中の御用針司として針への清めの意味と、秘術の技を漏らさぬよう御所の御簾(みす)の中でつくられたことに由来する。

24歳で結婚した。嫁姑の関係は実に厳しく、悩んだ。26歳のときに「家庭倫理の会」の「朝起会」に誘われた。まだ暗いうちにお姑さんに見つからないように、こっそり家を出た。

福井さんは思った。「教えにしたがって生きたら、おてんとさんが必ず味方してくれはる。こういう生活をせなあかんな」と。とはいえ、仕事の途中で世話役をしに店を抜け出すことは難しかった。「こんな忙しい時によう出ていくなあ」と嫌みを言われた。「ごめん」と言って店を後にした。

たいへんな葛藤の中で、心に誓った。「一切文句は言うまい。自分を変える以外にない。おてんとさんはいつも輝いてはる。みんなを温かくしてくれはる。わたしもどんなときでも輝いていよう。みんなを温かくできる人になろう。あとはすべて、おてんとさんにおまかせや。おてんとさんに味方してもらおう」

和やかな家庭をめざした。心をこめた手づくり料理にこだわり、笑顔で「ありがとう」を言い続けた。次第にお姑さんに対する気持ちも変わった。自分が変わると相手も変わるというが、そのとおりになった。

「あんたの世話にだけはなりたくない」と言っていたお姑さんが、亡くなる直前に「三千子はん、いろいろわがまま言うたけど、文句も言わんと、よう言うこと聞いてくれてほんとにありがとう」と言ってくれた。「一瞬光が輝き」、嫁姑の長い確執の年月が消えた。思わず抱きつき、泣いた。

掃除の不思議が解けた

「倫理法人会」の富士高原研修に参加したときに、鍵山相談役のお話しを聞いた。「トイレ掃除すると、なんかうまくいく」と思っていた長年の不思議が解けた。

1996年(平成8)、「京都掃除に学ぶ会」が出来、坂本孝子さんに誘われて参加した。「冨岡重尚さんの後ろ姿を見て、頑張ろうと思いました。道具の後始末や前日の準備は、ええ勉強でした。成田芳久さんが会社の倉庫に道具を預かってくれはりましたので、坂本さんと何回か整理に行きました。次に使う人のためと言うて、カネヨンの口を歯ブラシで丁寧にきれいにしはるのには、びっくりしました」

2008年(平成20)に、若者の街頭清掃「新洗組」が発足した。裏方の世話を買って出た。自分が幸せをもらったと思うから、今度は若い人にお返しをする番だと思った。自宅に誘っておばんざいをふるまうこともある。特に鯖寿司は大人気だ。

83歳のいまも、上御霊神社の他、新洗組の木屋町、松尾大社、「京都掃除に学ぶ会」の例会に欠かさず参加し、「倫理法人会」のモーニングセミナーにも週2回出席する。健康の秘訣は少食、日本の昔からの伝統食、お野菜、ときどきの断食、そして月に2度程度のゴルフ。商売はご長男が継ぎ、順調なことを喜んでいる。

「子どもは5人、孫6人。みんな仲良しがうれしい。子どもや孫の後押しをしたい。陰日向なしの徳積みにかかっていると思っています。主人は88歳になりました。一緒にいられる一日一日を大切にしたい」

掃除と倫理の教えで葛藤を受けいれ、光に変えた福井三千子さん。家族のまもり神として、今日も上御霊さんを掃除する。

(取材 池永重彦)

(前列左福井さん、2人目坂本さん)