妻と二人三脚一万回目指し

かが能美掃除に学ぶ会
山口 健次・雪江

2004年(平成16)9月、能登はがき人の集いで、憧れの鍵山秀三郎様の講演を聞き、お話もできました。鍵山様の話に深く感動した私は、毎朝ウォーキングを兼ねた街頭清掃を始めようと思いたちました。何事も続かない私は、翌年4月妻を誘って2人で始めました。

朝5時過ぎから約1時間半、場所は市民憩いの「和田山史跡公園」の往復4㎞です。当初ズル休みもしましたが、妻との二人三脚のお蔭で何とか続きました。妻は、「早起きして生活のリズムができて体調がいいわ」と、楽しんで従ってくれています。しかしずっと続けるためには、もう一工夫必要でした。鍵山様に、定期報告させて頂きたい旨ハガキでお願いしたら、快く了解して頂きました。300回を超えたころから、50回毎に報告しました。月に20日位でしたが、この頃は多いゴミに腹を立てながら拾っていました。

鍵山様への報告を励みに続ける

報告させて頂くだけで良かったのですが、毎回励ましのお返事を頂きました。500回を超えたとき、「雨の日が多く、休んだので報告が遅くなりました」と書きました。すると速攻のハガキが届き、「いつもご夫婦で雨の中も街頭清掃に励んで頂き有難うございます。私も雨の日は休みたいのですが、家内が玄関にカッパと長靴を用意してあり、休むことが出来ません」

私は、雨の日に休んだと書いたのに…おかしい? 読み返しているうちに、そんなことで休まないでということを、優しくユーモアを交えて諭して下さったのだと気がつきました。何と素晴らしい方だろうと感激しました。トイレ掃除のこともお聞きし、2007年(平成19)から県内のトイレ掃除に夫婦で参加し始めました。

ゴミは当初、10㍑袋で4、5袋ありました。私たちの目の前でゴミを捨てたり、嫌がらせのように毎日同じ場所に職場の吸い殻200本位を捨てる人や、家庭ゴミを大袋に入れて捨てる人などがいました。ペットのラベルはがし・道路のガムはがしにも時間がかかりました。夏は公園のキャンプ場で夜中にバーベキューをし、金網・炭・花火・食材を散らかしたまま帰る人もあり、カラスと競争で片付けたり、ゴミが大量の場合は、自宅に帰って軽トラックで回収することもありました。

励ましてくれる地域の人々

清掃の回数が伸びるとともに、朝すれ違う方々の我々を見る目が変わってきたようです。今思うと、本気で取り組むとすべてが変わってくると感じました。励ましのメッセージを付けたゴミ用袋を置いて応援して下さる方や、畑のお野菜を戴いたり、「いつもご苦労さま、ありがとうございます」などの言葉をかけられることもあり、とても元気づけられました。16年たった今、公園も道路沿いもゴミは格段に減ってきれいになりました。

そうこうしているうちに、かが能美掃除に学ぶ会の西田義男さんご夫婦が、2012年(平成24)「勘定峠を美しくする会」を立ち上げ、スタート記念に私たち夫婦も参加させて頂きました。また、勉強会で指導頂いていた愛知県豊川市の河村明彦様も、豊川で街頭清掃を始められました。

鍵山相談役は、1万回までは生きて報告を受けると言われ、喜んでいたのですが、体調を崩されましたので3600回で報告はやめ、今は西田さんに報告させてもらっています。

この度は、清風掃々の誌面で鍵山相談役に報告できる機会を頂きまして、とても感謝しています! 今年17年目、年末には5千回に届くと思いますが、松下幸之助氏の「何でも1万回できたら初段や」。目標の1万回を目指してコツコツ歩みます。