掃除で変わった私の人生と経営
伝統と革新の超長寿企業
(株)とみひろ 会長 冨田 浩志
山形掃除に学ぶ会の「山形駅前清掃200回」に参加し、日本を美しくする会会長冨田浩志さんの取材を、会社見学とともにさせてもらいました。 (取材 編集室)
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山形駅前清掃200回
1月21日(水)6時、雪がちらつく氷点下4度、40名が集まりました。
冒頭冨田さんから、「始めた当初不審者かと警察から職務質問を受けました。コロナの時期1回休みましたが、16年間毎月第2水曜日朝5時半から7時ころまで、皆さんのご支援により続けられました」と、感謝の言葉がありました。
1時間山形駅~繁華街などの雪が積もっていないところのゴミ拾いや、通路のガム取りをおこないました。終了後、親切な会員が水道凍結のためにポリバケツに持参したお湯で道具洗いをおこないました。
支援団体の、「山形警察署洗心会」「ホテルメトロポリタン山形」「JR東日本山形地区」「山形区役所」の団体名が記された「200回記念タオル」が配られました。
最後に円になって、「床のガムの多いことに初めて気づいた、取るのに苦労した」などの感想発表がされました。警察学校の生徒さん数人や、遠くチリの外国人実習生女性も参加していました。

山形掃除に学ぶ会
1996年(平成8)発足、活動は大きく3つあります。
まず「学校トイレ掃除」です。1997年、第1回を日大山形高校で実施。以来小中高等学校に加え、2008年鍵山相談役の講演会とトイレ掃除で山形県警察学校とご縁ができ、県警本部長も便器に向かわれました。現在まで学校トイレ掃除は、120回以上を数えます。
次が、2010年から始めた「山形駅前清掃」で、このたび200回を迎えました。経緯は後述します。
3つ目が、「出羽三山神社鏡池清掃奉仕」です。山形市の北西約百㎞、鶴岡市の出羽三山神社は1400年前に開山し、修験道を中心とした山岳信仰の場。羽黒山神社の「鏡池」は、池底から平安時代以降の多くの鏡が見つかり、1950年国指定重要文化財に指定されました。社務所から会員を通じて、鏡池をきれいにしたいとの提案があり、2016年から毎年泊りがけで水面を覆う水草を除くなどの奉仕をしています。昨年で10回でした。
長寿企業「とみひろ」
冨田さん経営の(株)とみひろは、1578年(天正6)の薬種業に始まり、170年前に呉服業に専念した、創業440年超の長寿企業です。
社員130名、振袖事業(8店)、フォトスタジオ(4)、結婚式場(1)、カフェ(1)など、山形県を中心に東京・埼玉に展開し、京都に仕入れなどおこなうグループ会社があります。
理念(社是)は、「私たちは日本文化の伝統美を創造し、その振興を通じて社会に貢献します」。
2016年、県内に2500坪の桑畑を求め、養蚕事業を始めました。自ら養蚕して絹糸をつくり、草木染色し機織りして生地もつくり、着物の企画デザイン、販売、仕立てまで、自社で一貫しておこなう着物業界唯一の着物製造小売とか。
地域貢献では、花柳文化を伝える「やまがた舞子」や「酒田舞娘」への衣装提供、養蚕所見学、染織体験などをおこなって、日本の伝統衣文化を考える機会を提供しています。
京都では、毎年祇園祭で、山鉾の一つ「山伏山」の山建てから巡行まで協力しています。
「伝統とは革新の連続です」
長寿企業の経営のポイントを聞いて、返ってきた言葉です。その他に、「小さくはじめて大きく育てる」「良樹細根」などの言葉がありました。
とみひろでは、染織・和裁などの日本の伝統文化と技術を次代に繋ぐ事業の一方、蔵を改造した上品な小規模結婚式場や、養蚕事業とそこで採れた桑の葉を使ったメニューのカフェ事業を始めたり、新しいことに挑戦する経営姿勢も各所に見られました。
冨田さんは、30歳代に社長専門の経営コンサルタント一倉定氏の経営塾を受講しました。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である」などと社長の役割を厳しく指導した一倉氏には、特に「お客様第一主義」と「環境整備」を学び、「事業計画書」も作成したといいます。後に掃除の道に入ったのも、一倉氏の影響もあったろうとのことです。
伝統と革新が混じったとみひろの社風を感じました。

若いころ〝我〟が強かった冨田さん
冨田さんは、今は人の話をよく聞き、穏やかで、気も長い印象ですが、昔はそうではなかったといいます。以下は、冨田さんの話しです。
―社長就任は1993年、39歳のときでした。しかし大きな悩みを持っていました。「先代のいうことは聞くが、息子にはついていけない」などの、親子継承にありがちな社員との人間関係です。
自分が社長でいるのは先祖のお陰ですが、それを自分の力だと錯覚していました。机上の理論を社員に押し付け、傲慢に振舞っていたとの反省があります。
先輩から「経営者は、法律的相談ができる人を持つとよい」と紹介されたのが中村治嵩弁護士でした。
掃除で変わった冨田さん
1996年、中村法律事務所開設30周年記念で鍵山秀三郎さんの講演を聞いたのが、掃除とのご縁の始まりです。社長就任まもなくで悩み苦しむ時期、鍵山さんの話はとても腑に落ちるものでした。「問題はすべて自分にあった」と気づき、決心しました。
まず、毎日会社のトイレや駐車場の掃除を始めました。そのうち、商店街から山形駅前にまで範囲を広げました。3年間一人でした。
会社では多くを語らなかった先々代・先代に仕えた専務が、このころから黙って一緒に掃除をしてくれるようになりました。その後、部長らが一緒に掃除に参加してくれるようになりました。専務はその後、献身的に冨田さんを助けました。
十年目 奥様が「変わったね」と
奥様は、冨田さんが掃除を始めたことで、当初は変な宗教に入ったのではと心配したそうです。しかし一人で掃除を続ける冨田さんを見て、10年くらいして「あなたは変わったね」と。
冨田さんは振り返ります。
「鍵山相談役が一人でトイレ掃除を10年して社内に広まってきたと聞きますが、人も組織も本当に変わるのは10年ですね」と。
山形掃除に学ぶ会が、冨田さんが続けていた「山形駅前清掃」を、会の活動として取り組み始めたのが2010年、「出羽三山鏡池清掃奉仕」を始めたのが2016年。
この間、黒沼共同会計事務所の黒沼範子さんは、山形掃除に学ぶ会の事務局としてその発展に尽くし、さらに日本を美しくする会が賛助会員制度を採用する際には、率先して多くの会員を獲得し、多大な貢献をしました。
冨田浩志さんに期待
冨田さんは、掃除をすることで自分を変えていきました。それとともに、会社運営も軌道に乗っていき、この姿勢が代表世話人であった「山形掃除に学ぶ会」の活動にも反映し、多くの仲間を巻き込んでいきます。今も出張のない日は駅前清掃を一人で、年に220-250日おこなっています。
冨田さんは2025年9月、長男の泰弘さんに社長を継承し、会長になりました。泰弘さんに「浩志会長が掃除を始めて変わったことは何ですか」と聞くと、「いろんな視点から物事を見るようになったことでしょうか」とのこと。
「パッタンパッタンの音がする機織りや糸車」「心のこもった少人数の結婚式場」「桑の葉を使ったカフェ」などを見学して、日本の伝統保存とともにそれを革新する、とみひろさんを知りました。
冨田さんが問題山積の当会を、新しい視点で改革・運営されるだろうとの期待が持てた取材でした。

左端 冨田さん