体当たりとトイレ掃除の生徒指導
泉佐野市 元教師 田仲 三夫
大阪府泉佐野市の元教師田仲三夫先生(76)は、荒れた中学校に35年間務め、トイレ掃除をやんちゃな生徒とおこなうなどして、体当たりで生徒と向き合ってきました。退職後の現在も、視覚に不自由がありながら、学校での「ひとりトイレ掃除」と「駅前のガム取り」を続けています。
(2024・1・27鍵山教師塾in伊勢の講話に加筆) (編集 編集室)
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班目標「田仲に反抗しよう」
A校は、すごく荒れた中学校でした。トイレのドアは壊されガラスは割られ、校内でタバコは吸うし…。
1973年(昭和48)、23歳で赴任。最初のころ、生徒は無視し、反抗し、テストは白紙で出すのです。班ノートの1頁目に、「田仲、田仲、田仲…、大、大、大…、嫌い、嫌い、嫌い…」、3頁にわたって「田仲大嫌い」って書いているのです。それを土曜日の晩に見るのですから憂欝ですよ。その班の目標は「田仲に反抗しよう」です。呼び捨てです。学校行くのが嫌でした。未だに忘れられません。その学校には21年間いました。
44歳で、1㎞離れた新設の中学校に異動しました。この学校は落ち着いた学校で、9年間いました。近隣でこんなに違うのかと思うほどでした。
ところが、54歳のときに、A校のPTA会長をやってる教え子が来て言いました。「A校が荒れている。先生が来てくれたらなあ」と。それでA校への異動希望を出しました。誰も転勤希望がなかったので、すぐ採用されました。校長は喜んでくれました。A校には定年までの14年間いて、結局通算35年間いたことになります。

料理と粘土で、「和」を教える
10年近く経って、クラスの初めにこんな話をします。
「これから料理の話するぞ・・・」。机にだーっと野菜を並べると、子どもたちは何をするんやろと思うんです。「カレーつくるとき、大根入れるか?」。「そんなん入れるか」って声が聞こえます。「玉ねぎ入れるな?人参入れるな?」って、見せるんです。
「じゃあ、サラダはどうや。大根は入れるか?ニンニクはどうや?」「ニンニクなんか入れるか」って言います。
「じゃあ、餃子つくるときはどうや。ニンニク入れるやろ。にらも入れるやろ。大根は入れへんな」。
「そや、味や。味が違うんや。それぞれ味があるんや。大根はきゅうりになれないし、きゅうりは大根になれん。でも一緒になって、サラダになる」…。
こういう話を、子どもは納得して聞きます。それはつまり「和」ということです。材料の違いはあっても、ひとつの料理になるということです。
もうひとつは、粘土です。「ここに35人おるやろ。粘土で悪いけど、これは赤坂やな、これ佐々木やな」。こうやって粘土を入れていきます。「皆で35人、お互いのこと分からん。でも一緒に授業する。給食食べる。行事やる。仲のいい子が出来ていくやろ。運動が得意とか。アニメが好きとかグループができるな。
7月ころ、中にはポツンと外に出て行く奴がおるやろ。あるいは、学校に来ない奴がいるかも知れへん。そして夏休みの後の文化祭では、出ていった奴も入れなあかんと話しするわな。33人より35人がいいということで、この子らを吸収する。そして12月には、グループは固まりになるんや。これが団結や!」と言って、粘土を黒板にバーンと叩きつけるんです。この話は、学年集会でもやります。同窓会があったときに、「先生、覚えてるで。粘土の話」と言ってました。
体を張って教える
私も30代で若かったですから、ある生徒に「お前とケンカしたい」と言われて、「殴り合いしよう」ということになりました。僕が先攻でグーでバーンとやりました。次は僕にカーンときました。口の中が切れました。おい、血出てるやないか、痛かったわと・・・。その後、彼は私を認めてくれました。
僕はタバコ吸った奴には、ケツパン(バットで尻を叩く)してました。女の子にもしました。そやけど、僕も2回されました。ケツパンしたことある先生はいても、された先生はあまりないと思います。風呂に入ったら、腫れてますわな。そやけど、僕は彼らに卒業式で「待っとけよ」と言われたことは一回もないです。僕をこの野郎とは思っても、「こいつは本気やな」と思ってたんでしょう。21年間、生徒や親から、100%とは言わないが信頼を得たと思います。「熊」とあだ名で呼ばれたのは、「あいつやったら」ということでした。
A中に再赴任
3年の担任になりました。あるグループが空いてる教室を牛耳ってました。タバコは吸う、中から鍵をして入れない。「○○一家」と、やくざみたいな名前がついてました。
どのクラスにもその一家が2、3人いるんですが、私のクラスにはそのトップがいました。他の生徒と交わることはない。先生方は、何とかしようとしていましたが、どうしてよいか分からず、悩んでおられました。その子らは「熊が帰って来た。何されるかわからん」と、構えてました。前の教え子の子どもたちです。
「お前、あいつの子か。父ちゃんから聞いてるか」では収まらない。それ以上に出来上がってる。タバコは止めない。常習です。自転車を廊下や体育館で乗り回す。3階の教室まで入って来る。止めようがない。しかし、「このままでは終わらせないぞ」と思いました。
トイレ掃除との出会い
トイレ掃除を知るきっかけは、月刊「致知」(2004-9月号)の鍵山相談役と広島市東区の山口富久区長の対談「清掃が地域を変える」を読んだことです。26年間運動会が開かれなかった二葉中学校がトイレ掃除で変わったとあったんです。
「これや!」と思って、山口区長に電話したら、「1月4日に来てください」と。そのとき「僕だけでなく職員に意識を持ってほしい」と言いましたら、山口区長が「わしが行くわ」と。「ええっ、来てくれるんですか」。2005年(平成17)1月18日、地域の人も呼び、山口区長に講演をしていただきました。
そして3月6日、卒業式の前に『心みがきトイレ清掃体験会』をやりました。「泉州掃除に学ぶ会」の協力で、140名が参加。2018年の私の退職の日まで、人数は減っても、学校の定例行事として計15回、1291名の生徒が体験しました。
『心みがきトイレ清掃体験会』
感想文(第15回2018・3・11 16名参加)
〇2年生女子
清掃するんやなあって思って行ったら、リーダーさんが素手でトイレ掃除していて、鳥肌が立ってびっくりしました。私が洗ったトイレはとてもキレイになって、とても心がきれいになったなぁと思いました。
2時間くらい掃除して、終わったらみんな集まっておにぎりを食べて、みんなの顔がキラキラしていました。普段話さない先生とも話せて、とても良かったです。これから身の回りや家の片づけなど、もっとこまめにやろうと思いました。
〇2年生女子
汚い、臭いからいやだ、行くの面倒くさいなと思っていたのですが、トイレを磨いてみると、こんなにきれいになるんだな~と感じました。女子トイレより男子トイレの方が汚いと思いました。こんなに頑張って掃除しても、気づかれないのはちょっと落ち込むけど、三年生は気持ちよく卒業してほしいです。田仲先生、ありがとうございました。
〇掃除に学ぶ会リーダー
生徒さん全員、イヤな臭いに顔をしかめていました。でも始めると、誰一人イヤな顔をせず、便器に手を突っ込んで、汚れを落とすのにチャレンジしてくれました。この汚れどうしたらいいのかとか、どの道具を使ったらいいのかとか、真剣に質問してくれました。助言すると、一心不乱に取り組んでくれました。
そして、もとの真っ白な便器になりました。生徒さんは驚き、達成感と爽快感にみちあふれた顔になっていました。生徒さんに、自分たちの学校のトイレは自分たちできれいにしようという熱い気持ちがあったからだと思います。心からありがとうと言います。
大阪便教会の支援
泉佐野で便教会を2回やったことを、尼崎の大谷育弘先生に話しましたら、「大阪便教会は泉佐野に行こう」と仰って、2013年から5年間、泉州の小中学校でトイレ掃除を60回ぐらいしました。やんちゃな生徒は呼び、「誰も見てないところでやるんやぞ」と言ったら、「やる、やる」と言いました。
音楽室や美術室の床もひたすら磨きました。レポートは職員に配布しました。A校で最後の便教会の後、大谷先生は中華料理屋で「ご苦労さん会」を開いてくれました。

想いのバトン
大阪便教会 世話人 大谷育弘
「清風掃々」22号(2013・11月)抜粋
田仲三夫先生は、今年63歳。31年間勤めた中学校は、トイレのドアや便器が壊されたり、三階教室から机が降ってくるなど相当荒れた時代もあったそうです。
そんな中トイレ掃除と出逢い、自ら実践し、勤務校でトイレ掃除の会を定期的に開催されるようになりました。今年で11年目です。
田仲先生は、次の世代の教師に本当に大切なものを、本気で伝えていこうとされています。その想いのバトンをつなげていくために、泉佐野市内の学校で大阪便教会を開催させて頂こうと考えました。
荒れた学校の先生は、日々の生徒指導で限界まで追い込まれていることもあるかもしれません。掃除は大切だと頭で理解できても、心で感じる余裕すらないのかも知れません。実は、そのような困難な状況で頑張っておられる先生に、掃除によって感じて欲しいものがあると存じます。

退職後の活動 2025・12月記
僕の失敗は、後を育てていなかったことです。僕が辞め新校長が来たときに、「田仲先生がやってたトイレ掃除どうする?」って聞いたら、シーンとしてたと。「ほんならやめとこ」って。僕はそれを聞いて、職員室に行って話しをさせてもらい、そして一人ひとりに、どうしてトイレ掃除をやってきたかについて書いた手紙を送りました。少しでも心に届いてほしかったからです。
私は、目がだんだん見えなくなってきました。でも、学校でのひとりトイレ掃除をしています。駅前ではガム取りをしています。学校に電話して、平日午後4~5時半までひとりでトイレ掃除をしています。たまに断られますが。現在まで、97回やってます。
私の願い
第一「掃除を大切にする心が育ってほしい。掃除を大切にする学校・先生・子どもに」です。
第二「ゴミが落ちていない町に。
できればゴミを拾える人に」。
大谷先生らと被災地に行き、休憩でコンビニに弁当を買いに行ったときに、大谷先生たちは喋りながらスッとゴミを拾ったんですよ。エッと驚きました。大谷先生らは、何の構えもなくてやりはるんやなあと。
今は僕も自然にやります。人前ではやらないけれど。それが10年、20年、30年経ったら、学校の空気が変わるやろ、学校が変わったら、人が変わる。人が変わったら町が変わる。鍵山相談役の言葉ですよ。
「すべては後から来る者のために」

